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田中慎弥著 『孤独論ー逃げよ、生きよ』を読む

孤独論田中慎弥さんと言っても、知らない方が多いかもしれません。この本の帯にある著者紹介欄によると、その経歴は次のようです。

<1972年山口県生まれ。2005年に「冷たい水の羊」で新潮新人賞を受賞し、作家デビュー。2008年、「蛹」で川端康成文学賞、「切れた鎖」で三島由紀夫賞を受賞。2012年「共喰い」で芥川龍之介賞受賞>

私は芥川賞受賞ということで「共喰い」は読み、映画化された作品も観た記憶があります。

さて、今回の『孤独論』は口述筆記してできあがったものだと「あとがき」にあります。日頃から彼が考えていたものを、一気に口にして仕上げたという趣きが濃厚な作品です。

彼の『孤独論』の大きな特徴は、現代に生きる多くの人間が、様々な形で「奴隷」になってしまっているという根本認識です。

<世の中で起こっている出来事を眺めていて強く感じるのは、仕事、学業、人間関係、因習、しがらみなどによって、いまを生きる人の多くは、「奴隷」になってしまっている>

<取り巻く環境や状況のいかんにかかわらず、思考停止に陥っていれば、物事を考えるのが億劫になっていれば、あなたは奴隷といえる。「奴隷」とは、有形無形の外圧によって思考停止に立たされた人を指す。>

と作者は言います。では、この奴隷状態から抜け出すにはどうすればいいのでしょう。

<やるべきことはひとつ。いまいる場所から逃げることです。(中略)たとえば会社をやめてしまう。煮え切らないあなたは、いきなりは無理だと言うかも知れない。それなら、しばらく会社を休みましょう。(中略)まずは、つながりをすっぱり断ち切って、その場を離れてしまうことです。>

逃げた後には何があるというのでしょう。作者は言います。

<ささやかなものでかまわない。自分の中を丹念に探せば、あなたにとって価値ある「なにか」は、きっと見つかるはずだ。>

そして、その「なにか」を見つけ出すのに一番良い環境が「孤独」である、と作者は言うのです。そして、ここから田中流の孤独の過ごし方論が展開されてきます。

しかし私がこの本で最も興味をそそられたのは、彼の「孤独の過ごし方論」の方ではなくて、その「過ごし方」を許した環境についてです。

田中さんは大学受験に失敗したあとすぐに「引きこもり」状態になり、それはほぼ15年の長きにわたったと言います。

<高校を卒業し、大学受験に失敗したあとのわたしに働くという発想はありませんでした。頑なに拒んだというよりも、なんとなく働く気になれなかった。およそ切羽詰まる理由は見当たりませんでした。>

<とはいえ、傍目からは怠惰な暮らしに違いありません。母からもたまに、「なんとかしなさいよ」くらいは言われましたが、叱られはしなかった。母のそうした態度があったからこそ、わたしは作家になれたともいえます。>

<母が強く叱らなかった理由として、思いあたることがひとつあります。それは父が34才の若さで亡くなったことです。死因は心筋梗塞。過労死といっていいようなものでした。>

<だから、働き過ぎで死ぬよりは家でぶらぶらしているほうがいいと、母は思っていたふしがあります。(中略)母は「この子はあまり会社でばりばり働かない方がいい」と思っていたのでしょう。「なるようになるだろう、死ななきゃいい」くらいに考える図太さが母にもあったわけです。わたしにとって、そういう環境はありがたかった。>

「なるようになるだろう、死ななきゃいい」という親の覚悟が作家田中慎弥を作り出したと言ってもいいでしょう。そして、私の考えでは、そうした家の環境が田中さんにこの『孤独論』を書かせ、いわゆる「引きこもり」から抜け出させる原動力になったのではないでしょうか。